岡野オサムのそれゆけ!田舎暮らし

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その1 「きっかけ」

確か小学校2〜3年生の頃、ある日戦争の怖い夢を見た。
原爆が爆発する夢で、本当に恐ろしかった(T,T)

怖くて悲しくて夜になると一人でめそめそ泣いていました。

何日か泣いた後に、一人ではどうしようもなくなり兄に夢の話をしました。

そして、もし僕達の上に原爆が落ちてきて家族皆が死ぬような事になったらどうしよ
う?と相談したところ兄はあっけらかんとして、そうなったら家族全員が死ぬのだから淋しく無いやんか!と・・・

その言葉を聞いて急に心が軽くなり、夢の事は気にならなくなりました。

しかしその夢がきっかけとなり、子供心に誰にも頼らずに生きていけるようにしよう
と思うようになりました。

当時は父親の仕事の関係で、高知の土佐清水に住んでいました。その頃の遊びといったら海や山に行く事が楽しみでした。毎日学校から帰ると海に行き、魚を釣ったりアサリを掘ったりするのが日課で、季節によってマテガイを取ったりハマグリや海カキを取ったり。川で手長エビやウナギなども取ったりして本当に楽しかった。

山では春はアザミやツワブキ採り、秋はキノコ採りや山芋掘り、そして冬が近くなる
と罠を仕掛けてトラツグミを獲り、焼き鳥にして兄と一緒に食べるのが楽しみで、ま
た時々はトリモチを作ってメジロを獲ったりウグイスが掛かるときもあり、鳥篭でメ
ジロの鳴き声を聞いたり育てたりと、これも楽しみの一つでした。
当時の私は他の兄弟と違い、親からお金をもらって何かを買うというのが嫌いで、何
か欲しいものがあると大抵は自分で作りました。

おもちゃが欲しい時には山に行き、細工のしやすい木を探しては、船や飛行機など
色々な物を作ったり、ゴム飛行機が欲しい時はゴムとニュウム管と紙だけを買ってきて、竹ひご等は自分で竹を切ってきて作りました。

完成すると近所の子供が欲しがり、親から譲って欲しいと頼まれるので譲ってあげたこともしばしばありました。

当時はご飯を炊くのも薪で炊きます。
母親が薪に火をつけるのを見ては、少しでも火を起こしやすいようにと山に行って遊んで来た時は、必ず小枝を束ねて持って帰来ました。時々は近所のおばさんにも頼まれる事があり、持っていった事も・・・

そのおかげでお正月になると兄弟の中で私だけがよくお年玉を近所のおばさんから貰うので、兄弟から何でお前だけ貰えるんじゃ〜!この猫かぶり!と罵られました。

家の中の出刃包丁や大工道具が私の細工のお陰ですぐボロボロになるので、父親によく叱られたものです。

そしてその度に逃げ込んだのが、山の中に自分で作った「家」でした。

最初の家は、竹の家でした。笹竹を肥後の守(小刀とノコギリが付いている)で切りだし、家の壁は竹を編んで作り、屋根には笹の枝を積み上げ、隙間をススキで埋めた簡単な作りでした。この家は最後はどうなったのか?記憶にはありませんが、2度目の家はツリ−ハウスで廃材を集めてきて大きな木の上に作りました。

今思えば他人の山に勝手に隠れ家を作って遊んでいたのですが、何も言われなかった事を思えば昔はおおらかだったのでしょうね。

小学生の頃のこういった体験がベースになり、知らないうちにサバイバルの基礎が身に付き、その後の人生に大きく影響を与えているのは間違いなさそうです。

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