岡野オサムのそれゆけ!田舎暮らし

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その30 「円明寺のMさん

Mさんは国分の近くにあるお寺の住職さんの奥さん。
Mさんとの出会いは、調度私が天王寺近鉄の手芸用品売り場にある私の木彫コーナーに用事で出かけた時に、たまたまお会いしたお客様でした。

最初はたしか、停年退職をしてから木彫を習いたいと思うが私の年齢でも木彫を習う事が出来ますか?との相談でした。

当然私は木彫は年齢に関係無くこつこつと習われると誰でも上手なられますよ!と答えました。

Mさんは大変喜び、それから大変熱心に木彫を習われました。
お年のわりには熱心で見る見る間に上達されるMさんを見ていると、Mさんが習いに
来られる日は、私も何故だか嬉しくて木彫のかたわら色々な話しもいたしました。
その話しの中で、Mさんが私に・・私が死ぬまでに不動明王を彫ってみたいと言って
いました。

何時の頃だったかは、はっきり判らないのですが・・・
多分第15回収夢会展の前の年だったと思います。

ある日・・朝起きると、私のベットの横にMさんが立っておられました。
そして、そのMさんが今年一杯で先生とお別れするかも知れませんと言うではありませんか。私もビックリしましたがこの事は誰にも言わずにいる事にしました。

当時Mさんは当会の支部教室を開いておられて、毎週ご自身も天王寺の教室に木彫を習いにみえていました。

私は教室でMさんに、身体に良いから必ず漢方薬を飲むようにと渡しました。
この行為は4月から8月まで続きましたが、夏に入って教室のある日、HさんNさん達の前で、Mさんは元気そうに見えるけど実はそうでは無くて身体は大変な状態だから展示会の当日は、Mさんには一切荷物を持たさないで欲しいとお願いしました。

私が4月からMさんに薬を飲ませているのは、実は今年の初春にMさんが夢枕に立たれて、今年一杯で先生とお別れするかも知れませんと言って来たので、それで心配して薬を飲ませているのだと話しました。

又今年一杯でお別れするかもと言う事は、12月末には新しい神様とお変わりする
ために12月28日に脳梗塞で倒れるだろうが死ぬ事は無い!だろうと話をしました
ところHさんとNさんに、いくら先生でも言って良い事と悪い事があると大変叱られてしまいました。

Mさんの第15回展の作品のデザインは不動明王を描いてあげたのですが、私の話しを聞いた後だからと言う訳ではありませんが
怖くて彫る事が出来ないと言いますので、別のデザインも渡す事にしました。
展示会も無事終わり、年末にMさんが自宅まで挨拶に来られましたので、28日はく
れぐれも用心して便所に行くときも毛布かぶって行く様にと告げました。
年末の最後の教室が終わった後(24日頃)
岡山の別荘で正月を送るのが慣例なのですが、Mさんの事も心配なので留守番電話をセットしてから出かけました。
29日の朝、Mさんの事が心配だった為に山から留守番電話を聞いてみる事にしまし
た。
留守番電話を聞いたとたん、Tさんの声で先生助けて!28日の晩に森先生が脳梗塞で倒れた!と伝言されていました。

いつもは1月10日くらいまでは山でのんびり過ごしているのですが、お正月が明けるとすぐ生駒に引き返しました。
Tさんに連絡を取り、どうしてMさんの事が判ったのか?と質問したところ、年末に一緒にお正月の買い物に行き、そこで先生の28日の話しを聞きました。
森先生は心臓は弱っているから心筋梗塞とかで死ぬ事はあっても脳梗塞は無いはず!
といっておられたけどとの話でした。
取り合えずTさんと病院に向かう事にしましたが、病院ではMさんの息子さん(別の寺の住職)がおられて、Mさんから話しを聞いていたみたいで私を見
るなり。いきなり私の寿命はいかがでしょうか?と聞いてきました(><)”
寿命はとにかく挨拶をそこそこにして、Mさんに声をかけましたら
Mさんが私はもう駄目ですか?と私に質問してこられたので(声は出していないが、
そう感じた)
大丈夫だよ!4月には元気になられて5月には教室をしていますよ!
と答えました。
それから奇跡的に元気に回復されて、5月から再び教室を指導されました。
その後2回程、倒れられては元気になられ10年以上だったと思うのですが彫刻活動をされました。

私もMさんの教室に伺うのがとても楽しみでした。
今でも時々、Mさんの事を思い出し寂しい気持ちになります。

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